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レッスンのご案内

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2016年4月11日月曜日

家族というものは


わたしがお菓子の勉強のために渡仏して しばらく住むということで、
せっかくだからと、母とAと3人でパリ入りして、少し長めの休暇を楽しんだ。



母が日本に発つ日、

スーツケースや割れ物の入った段ボールなど、たくさんの荷物をかかえて
シャルルドゴール空港まで、Aと一緒にお見送りにいった。
飛行機を待つ母(奥)と がっかりAちゃん@パリC.D.空港


母は外国にいるというだけで、
日本で普段できていたことまでできなくなって訳が分からなくなる。
言葉がまったくダメなのは分かるが、
「merci(ありがとう)」や「excuse moi(すみません)」すら発っすることなくだんまり。


一方的にわたしがリードしてきたようでいて、
さて、母が帰国するとなると、つのる寂しさが否定しがたくなってきて
ここが縁もゆかりも何もない土地であるという現実感が
どっぷりとした風呂敷のようになってわたしを包み込んでしまい、
心はどんより、ともするとにわか雨が来そうなぐらいです。


まだしばらくパリでがんばらないといけないし、
母やAにいらぬ心配をかけたくなくって
何か言ったら溢れてきそうな涙を一生懸命押し戻し、
出国ゲートの長いエスカレーターを昇って行く彼女を笑顔で見送り、
階上のフロアを歩いていく姿が見えなくなるまで見守った。


言葉のできない母が、ちゃんと出国をすませて飛行機に乗れるのか
ずいぶん気をもみながら
この先、この未知のフランスで
Aをしっかり守りきるんだと思いを強めた。
さっきまでは旅行者だったけれど、今からは生活者なのだ。





動き出した凱旋門行き空港バスの中で、
離陸時間はまだかと気になって腕時計を確認したら、
なんで離陸するまで残ってあげなかったのだろうかと後悔の思いにとりつかれ、
思いを空港に馳せて、LINEに大丈夫かとメッセージを入れた。
母はいっぱいいっぱいなのだろう、返事はかえってこない

空港からパリに向かう、旅行者だろう
女の子のグループは前の席で楽しそうにはしゃいでいて、
一方わたしは、
頼るべきは自分一人、知らない土地での新しい生活を思い、
えもいわれぬ気持ちがこみあげてきて
空港からパリ凱旋門までの小一時間、
声を殺して号泣していた。



Aはいつも、わたしが泣いているのを見逃さない。

「まま、だいじょうぶだから げんきだして」

身を乗り出して、到着までの間、わたしの涙を舐めては、
小さな手で、わたしの顔を ねえ、ねえ、と励まし続けた。



バスを降りて、シャンゼリゼ通りを、泣き顔を隠して下を向いて歩くわたしを引っ張るように
時にわたしの様子を気遣い、振り返り振り返り先を歩くAちゃん。



けど、この後、本当に外国生活に苦戦したのはAちゃんで、
神経が疲れてしまって、あちらこちらに不調をきたした。

周りに配慮をしない歩行者が多くて、踏まれる恐怖に、小さな犬ちゃんには歩きにくいパリ。
不潔でどこかアンモニア臭く、Aが大好きな気持ちの良い草がほとんど生えていないパリ。
Aが理解できないフランス語や英語で話しかけられるパリ。

もう死んじゃうんじゃないかと気が気ではなくなり、
その後、わたしの本帰国よりは先だって、日本に連れて帰ることになった。

冒頭の写真の表情を改めて見るに、
母が帰国することにひどく気落ちしてたA。


想い起しても、しばしば「ままを まもらないと」と頑張ってた小さいA。
かわいいAちゃん、ほほえましいAちゃん、ありがとね。






パリではわたしが母をリードしていたと書いたが、
母からも多大なサポートを受け続けていた。
彼女が陰で支えてくれたからこそ、異国の地で全力でがんばることができた。
出来る限りの、わたしの100%の成果を、持帰ることができた。
本当に心強かったのだ。

知らない土地では特に、
家族は、大切なもの同士は、なりふり構わず守り合う。
本当の思いが顔を出す。








渡仏の話が出た時、ちょうど10歳になったばかりのAを思い、ずいぶん葛藤があった。
わたしにとってはキャリア上必要なことで、けれどそのためにAを日本に置いていったら
「ままにすてられた」とがっかりして寿命が縮まるのではないか。
連れて行くことはAにとって負担が大きすぎるのではないか。





パリ暮らしが辛かったAを、クリスマス休暇に連れて一旦帰国し、
それから1年を待たず、Aは突然脊椎の病気で急死した。

すごく悩んで沢山考えた上でAを渡仏させて、それがよかったのか悪かったのか、
あまりに辛くて、パリでの出来事がすべて、自分の黒歴史になっていた。




今やっと、ちょっとずつ色々なことを受け入れつつあって、
こういった、家族同士の思いやりも温かくほほえましくて、
パリでの思い出が、すてきな宝物に変化しています。

「パリ、楽しかったね。また行きたいね。」と言う母に、

「うん」と元気に答えることができるようになりました。




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